壁打ち音楽日記

おんがく好きが、誰に言うでもなく呟きまくるところ

8dioのMajesticaという音源について

前々から、大編成のバリバリ言わせた映画音楽のようなものを作りたいなぁと思っていて、それでもって前々から気になっていた表題の音源がセールだったのと、ついでにミックス、マスタリングの師匠(勝手に呼ばせていただいてます)が「セールだし試してみてもよいのでは」と後押ししてくださったので、

買ってしまいました。19,200円。

定価だとおよそ64,500円くらいなのでお得な買い物かなと思っていますが、こんなに安くていいのかしら。
そして、240人編成のオーケストラですって。すごくない?

それで作った曲はこちら。

ということで、使用感を記録しておこうかなと思います。へっぽこ素人の一意見なので、あまり参考にされぬよう…。


【いいところ】
・手持ちの音源にはない、圧のあるブラスセクションが気持ちいい
・ブラスセクションのSavage Hitsが気持ちいい
・ストリングスは「これこれ!」と思える気持ちのいい音
・シンバルのクレッシェンドの表現が何種類かあって使いやすい

【気になるところ】
・ストリングスのレガート奏法が本当にレガートなのか謎
・ストリングス音源が重すぎて、調子に乗るとDAWが「ガガガガガ」と言い出す(びっくりしました)
・ストリングスの奏法少ない
・弦、管楽器のp-f-pをうまく尺に合わせるのが大変
ダイナミクスの差が貧弱、音の終わりをキレイに直したいのに、全然言うこと聞かなくて限界を感じる
・全体的に音が遠いので、手持ちのドライめな音源を足している
・リバーブのいじり方不明(音源側には付いてないのかな?だとするとすごい響き)
・楽器ごとのソリが収録されていない

【気づいたこと】
kontakt付属音源のブラスとかティンパニ、シンバルなど結構重宝する
木管楽器については、大編成かつアンサンブルということもあり、どんなものか聞くのも怖すぎて、まだ一音も鳴らしてないし今後も使わないと思う

ということで、もう少しいろいろとエフェクトかけたりなんだり、試したいと思います。
気になる人はこちらから公式サイトへどうぞ。
https://8dio.com/instrument/majestica/


手に入れた音源でエピックもどきを作ってみたら、エピック界隈の皆さんが全力で魔界に呼び寄せ…大変よくしてくれて、買ったばかりだというのにまた別の良い音源を勧めてくれて(ありがとうございます!)、かなり熱烈なお勧めに心奪われた私は早速ポチってしまいました。(顔も何もお見かけしたことないのに、その方が夢の中で釣り人として出演していて、笑っちゃいました。)

ということで、またそのうち感想を書くかもしれませんし書かないかもしれません。

菅野よう子さんのファンになる。

菅野よう子さんの、おんな城主直虎のサントラを聞く。

私は、こういうものが聞きたかったんだ!と思って、目頭が熱くなる。

菅野さんは吹奏楽の編曲を昔々にされていたようで、その影響かは分からないけど金管アンサンブルのサウンド吹奏楽の雰囲気もあって、なんとも言えないうまさ。

私は真島俊夫さんのサウンド大好きで、そういうサウンド吹奏楽曲を探していたのですが、なかなか見つからなくて。菅野さんの上記サントラはオーケストラの楽曲なのですが、とてもとても良くて心に染みたので、勉強させていただきます。

音感の話

和声課題がようやく「各種の調」に突入しました。

これまでの課題はずーっとハ長調の和音をもとに、解説とか課題が進んでいたのですが、ここからはト長調とかイ短調の課題が出てくるわけです。

ようやくハ長調地獄から抜け出せます。やった。

なんかもう時間を捻出するのが正直結構きつくて、不摂生なのかなんとなく寝不足も続き、最近は日中倒れるんじゃないかというくらい眠い時間帯があります。休憩時間に昼寝するのですが、起きるときに脳が働かなくて、体を起こすだけでも精神と脳以下筋肉たちで分離してる感じ。起こそうとするけど体が鉛のように重たい。

そんなわけで、1日のうちに課題をひとつクリアできればオッケーくらいに思いながら、ようやく…ようやくハ長調を抜けました。

それで、最初の課題が出来合いの和音を移調するというもの。頭の中にずっとハ長調で鳴らしていたI、Ⅵ、Ⅳ、Ⅱ、Ⅴ、Iを、ト長調に…と思って響きを考えると、聞こえ方や明るさ、イメージがハ長調ト長調とで全く違っていることを、今まで以上に実感しました。

なんとなく調性で響きが違うことは、今までの音楽経験の中でぼんやりと感じていました。でも、出来合いの曲は予め決まっている調性でしか聞き取らないので、その響きが曲のイメージなのか調性のイメージなのか、あまり考えないままに聞いていたことに気がつきました。

それを今回の課題は、響きを移し替えるということを意図的にやるわけですから、響きがどう変化するか目前で観察できるわけで、そんな経験今まで意識的にしてこなかったので、あまりにも新鮮。そして激ムズ。

この新鮮さは多分、この一度しか味わえないだろうから、記録としてブログに残しておきます。

あ、あとどうでもいいですが、和声課題に取り組んでいると、7とか9番目の音を無意識に使いがち…相当クセがついていることに気がつきました…良いのか悪いのか。

憧れとはいったいなんなのか

とてもすてきな作品を作る人が、この世に多いこと多いこと。

そのなかでも、ひとたび聴いたらもう、羨ましいなどの感情を通り越して、ものすごく前のめりになって必死で聴いて、ドキドキして、何か言わないと気が済まない!という気持ちにされる作品に出会うことがあります。

分からないんですけど、器用にこなしているという感じられるものよりもはるかに、苦心しながら組み上げたように思えるもの、「これが私の生きざまよ!」と体現しているようなもの、そういうものがひたすら胸を打つ。

あまりにも感情がざわつくものだから、それが憧れなのか、憧れすら通り越してもう恋なんじゃないかとか、いろいろと自分の中で整理がつかなくなっています。

憧れって恋心に似ているのでしょうか。

ふと、中学生のころ、学校の先生(ハンサムな感じではない普通のおじさん)にあまりにも惹かれて、ひとめ見ただけで何かが心の奥底からこみ上げてきて、不意にぽろぽろと涙がこぼれたことを思い出しました。あのときは一目ぼれかと思っていたけど、その先生の立ち居振る舞い、オーラ、話し方、声の出し方、とにかくいろんなものに一瞬で圧倒されたのかな。そういうことって、あるのかな。おかしいね。

大人になっても、羨ましい気持ちも、憧れの気持ちも通り越しちゃうようなものに出会うと、無性に涙がこぼれてきます。

大人になったのに、おかしいね。

 

私にもいつか、そういうものを作れる日が、やってくるのでしょうか。

ひとの日記はおもしろいが私の日記は雑

ひとの日記はおもしろく、特にその人の感じたことや独特の見方なんかが入っているとなおのこと、おもしろく思います。

ものを書くきっかけは、小さなことでもなんでも良くて、誰かに言うまでもないちょっとした発見とか、ちょっとした愚痴じみたものとか、そういうものも、書き手によって味わい深いおもしろさが感じられてとても良い。

と、いかにもおもしろいものを書きそうな、そんな雰囲気を醸し出してみましたが、本当に些細でめちゃくちゃどうでもいいことを書いていきます。

今日は雨の中、しぶしぶ買い出しに出かけました。こういうご時世だし、「今後1週間、絶対買い出しになど行かぬ」と決意を固めて買い物をするので、例えば冷凍してやろうと肉をいくつも買い込んだり、日持ちすると信じて根菜を多めに買ってみたりします。

買い物をする前に、だいたいの献立をふわっと考えながら買い込むけれど、商品を見ながら意識が吹き飛んで、買わなくていいヨーグルトとかカステラとかしいたけとか長ネギとか、なんとはなしにかごに詰め込む。

それで家に帰ってきてから冷蔵庫を開けて、「あぁまだあるじゃん、ねぎ」みたいになったりして、急いでカレーうどんなどに長ネギを大量投入したりします。

本当にどうでもいいですね。

雨の日の買い物は、傘からはみ出た荷物がしっとり濡れる。その荷物についている水滴を床に撒き散らしながら、買った食材を冷蔵庫にせっせと詰め替えないといけないので、タオルを持ってきてリュックサックやらビニール袋やらを雑に拭いてあげます。

拭き取る雨水はたぶん、水道水と違って、先ほどまで空中に浮かんでいたもので、なんなら空中に浮かぶ前はたぶん地面とか海とかにじわっと染み込んでいたもので。そうやって長い時間を旅してきた水が、リュックサックの窪んだ部分に少しだけ、水たまりのように溜まる。この水は、地面か海か、どこかの香りを伴って、そして高い空の上の空気を含んでいると思えば、まるで自分も旅してきたかのような不思議な気持ちが湧いてきます。

とはいえ、どんなに旅してこようが水は水なので、床が濡れるなぁと文句を言いつつ雑にタオルで拭くわけです。

そういうところが、雨の良いところで、嫌なところ。

壁打ち

眠気が遠のいたのと、自分の言葉を書くのが楽しいので、もうひとつ。

私にとって作曲活動は壁打ちであってほしい。

聴いてもらいたい気持ちももちろんありますが、自分の作品は自分に跳ね返ってくるものであって欲しいし、作曲という行為自体が自分の支えになっていてほしいのです。

私が作曲を始めたのは小学生の頃。その頃の私は、登下校は近所の友達と空想の世界の話をしながら、休み時間はクラスにひとりだけの友だちと教室にこもって絵を描きながら、家では妹とまた空想の世界で過ごしていました。辛いことがあっても、それぞれの世界の中で慰められながら、楽しく暮らしていました。

そんな中、父が楽譜作成ソフトを買ってくれて、新しく音楽の世界が出来ました。

それぞれの世界の中はいつも自由で、私自身がどんな風であっても良くて、ねずみにでも、ねこにでも、風にでも、とにかく何にでもなれるのがとても自由でとても楽しかった。

そういうものが、私を支えてくれていました。大人になってもそれは同じで、仕事で凝り固まった気持ちも、音楽の世界に浸れば少し柔らかくなるような気がしています。

私はまた、大人になって、出来心でツイッターに曲を公開するようになりました。仕事が落ち着いて時間ができたから、というのがきっかけだったと思います。

ただ、曲を作るにもテーマがないと作れないということで、深夜の2時間DTMという企画に参加することにしました。 そうこうしているうちに、いつしかツイッター文化を自分の作品の出来栄えを量る物差しにしていたようでした。

少しずつ聴いていただけるようになって、反応が増えていくことが自分の活動にとって刺激になりましたし、作品が人目に触れることで上達するスピードが何倍にも早くなったと思います。

でもその一方で、反応反響にばかり目が行き、気を揉むことも増えて、自分を見失う原因にもなりました。

フォロワーが増えると、失望されるような下手な作品を公開してしまうのではないか…と作品公開を恐れるようにもなりました。

そうやって萎縮していくと、自分でも愕然とするくらい、心の動きが鈍ります。

私が曲を作るのはまず自分のためで、自分の心が自由であることを確かめるためでもあるのに、普段生活している時と同じように、音楽の世界でも自分の気持ちを縛っていたようでした。そしてだんだん自分自身が窮屈になっていることに、最近気がつきました。

自分の支えを、自分を殺す活動にしてしまっていたようでした。

なので、今は音楽を心の支えとして大切に扱うために、自分の中で活動の心得を整理しないといけないなと思っているところです。

こんな私が作る、私自身のための音楽を聴いてくださって、私と一緒に違う世界を覗いてくださったり、楽しんだり励ましてくださる皆さんには、感謝の気持ちしかありません。

うらやましくて

ひとりごとのように身の回りの出来事や自分の考えを文章にしているものに惹かれて、うらやましくなったので書きます。

たぶんじめじめしたことばかり書くと思います。

私は、趣味で曲を作っています。

曲を作る前は、楽器を演奏していました。

でも、楽器を演奏するのはやめました。

ひとつには、自分の中の理想が高すぎるけど、それを実現するスキルがなくてうまく演奏できない。それが許せなかったから。

あと、こちらの理由がとても大きかったのですが、周りには私より演奏がうまいし、私より楽器を好きでいる人がたくさんいたから。

演奏技術にはもともと劣等感しかなかったので、18歳の頃は平日はもちろん朝から晩まで、土日もみんなが遊んでる間に部屋にこもって練習してた。15時くらいに楽器を置いて練習室のパイプ椅子で昼寝したりして。

でも、私は楽器がそんなに好きじゃなかった…というか、憎かったというか…時間の割にうまくならなかったからかな?「自分が演奏する楽器を、周りの人たちよりも好きか?好きになれそうか?」と自問し続け、それで悩んだ末に出た結論がNOだったので、演奏するのをやめました。

泣きながら決断して、「何も結果が出てないのにやめるなんて!この先何をやっても大成しないぞ!」と師匠に怒られながら、楽器を実家の納戸に封印しました。

食っていくための仕事に就いて、一刻も早く自立したくて、その後の4年間は楽器に触らないまま、就職して、今に至ります。

純粋に自分の未熟さを認め、何かに憧れを抱きながら練習し、自分が少しずつ上手くなることを喜びながら進んでいけるのはすてき。

自分より若い皆さんが趣味としてでもなんでも、何かに憧れながら楽器の演奏を楽しんでいる姿は、当時の自分には無いものの塊。なので、まぶしくてうらやましくて、どうかそのまま楽器も音楽も演奏することも、全てを好きでいてほしいなぁと思います。