壁打ち音楽日記

おんがく好きが、誰に言うでもなく呟きまくるところ

壁打ち

眠気が遠のいたのと、自分の言葉を書くのが楽しいので、もうひとつ。

私にとって作曲活動は壁打ちであってほしい。

聴いてもらいたい気持ちももちろんありますが、自分の作品は自分に跳ね返ってくるものであって欲しいし、作曲という行為自体が自分の支えになっていてほしいのです。

私が作曲を始めたのは小学生の頃。その頃の私は、登下校は近所の友達と空想の世界の話をしながら、休み時間はクラスにひとりだけの友だちと教室にこもって絵を描きながら、家では妹とまた空想の世界で過ごしていました。辛いことがあっても、それぞれの世界の中で慰められながら、楽しく暮らしていました。

そんな中、父が楽譜作成ソフトを買ってくれて、新しく音楽の世界が出来ました。

それぞれの世界の中はいつも自由で、私自身がどんな風であっても良くて、ねずみにでも、ねこにでも、風にでも、とにかく何にでもなれるのがとても自由でとても楽しかった。

そういうものが、私を支えてくれていました。大人になってもそれは同じで、仕事で凝り固まった気持ちも、音楽の世界に浸れば少し柔らかくなるような気がしています。

私はまた、大人になって、出来心でツイッターに曲を公開するようになりました。仕事が落ち着いて時間ができたから、というのがきっかけだったと思います。

ただ、曲を作るにもテーマがないと作れないということで、深夜の2時間DTMという企画に参加することにしました。 そうこうしているうちに、いつしかツイッター文化を自分の作品の出来栄えを量る物差しにしていたようでした。

少しずつ聴いていただけるようになって、反応が増えていくことが自分の活動にとって刺激になりましたし、作品が人目に触れることで上達するスピードが何倍にも早くなったと思います。

でもその一方で、反応反響にばかり目が行き、気を揉むことも増えて、自分を見失う原因にもなりました。

フォロワーが増えると、失望されるような下手な作品を公開してしまうのではないか…と作品公開を恐れるようにもなりました。

そうやって萎縮していくと、自分でも愕然とするくらい、心の動きが鈍ります。

私が曲を作るのはまず自分のためで、自分の心が自由であることを確かめるためでもあるのに、普段生活している時と同じように、音楽の世界でも自分の気持ちを縛っていたようでした。そしてだんだん自分自身が窮屈になっていることに、最近気がつきました。

自分の支えを、自分を殺す活動にしてしまっていたようでした。

なので、今は音楽を心の支えとして大切に扱うために、自分の中で活動の心得を整理しないといけないなと思っているところです。

こんな私が作る、私自身のための音楽を聴いてくださって、私と一緒に違う世界を覗いてくださったり、楽しんだり励ましてくださる皆さんには、感謝の気持ちしかありません。